スト、スト、スト!でも必要!
今日は、と言うより今週は、ストで交通機関がとても不便です。
今日は演奏会がある筈だったので会場に行こうとしたらトラムの駅はシャッターが下りているではありませんか。掲示でストでトラムや夜間の地下鉄やバスが運休らしい事を知らせています。取りあえずコンサートに行く事はあきらめて(無料コンサートなので損はしません)家に帰って Marseille の公共交通機関の webpage(http://www.rtm.fr/) を見ていました。すると、何とスト(組合 Confédération Générale du Travail の申請)のため私が乗ろうとしたトラム1は運休、通勤に使っているバスは7時半で終わりと書いてあるではありませんか。コンサートに行こうなんて思わずにいつも通り7時過ぎまで仕事をしていたら帰れなくなる所でした。通勤バスは今週はストでずっと減便が続いています。
フランスに来てからストが多いなとつくづく感じます。ですが、これって労働者の権利なんですよね。
この20年日本ではストなんて経験しなくなってます。これは組合が弱くなった証拠でしょう。昔は2,3年に一回位はストがありました。その結果何が起こったかと言うと、二十年間に労働分配率がどんどん下がって今やアメリカと並んで先進国中最低です。そろそろ、それがもたらすものが何かを考える必要があると思います。
以前にアメリカ出張に行った時に同僚が言っていた言葉で「壁の電気のスイッチがまがって付いているとアメリカに来たなーっと言う感じがする」というのが印象に残っています。そうなんです、相対的な給料の質が下がると労働の質も下がるんです。今の日本は未だ給料が高かった頃の労働の質を維持している業界もあるので何とか社会全体での生活の質は保たれていますが、このまま相対的な給料の水準が低いと確実に労働の質が下がってゆきます。(昔の日本は国が貧しかったので絶対的なな給料は低かったですが相対的な給料は今より遥かに高かったそうです。その頃の日本人の仕事ぶりは非常に高かったので、問題は絶対的な給与水準より相対的な給与水準でしょう)最近は日本でも壁の電気のスイッチが上げて off 下げて on になっている事がある様になりました。私が中高生の頃働いていた常識では考えられません。スイッチは上げて on 下げてoff です。(とっさの操作として、沢山のスイッチを一気にたたき落とす方が一つ一つ上に上げるよりも短時間で出来るので非常時に全ての電源を直ぐに切れる様にこうなっています。)宅配便でも割安な佐川急便は法人向けを中心に儲けているらしいですが、家に佐川の宅配でまともに荷物が届いた事は少ないです。酷い例では、全く他人の家のメーターボックスに放り込んで、自分で受取証にサインして帰ったなんて事もありました。数ヶ月後にその家の方が気が付いて連絡をくれたのですが生物だった荷物は当然腐ってました。ケータイ会社はこちらクレームにけんもほろろで、困っていても何もしてくれません。でもこれは当然の事です。同じ仕事をして給料がより安い何て事は普通は受け入れません。給料が安いなら仕事はその分いい加減になるのが当然です。アメリカは日本より末端の労働者の給料が安いですが、その代わり電源スイッチはまがって付いてます、スイッチがきかない事もたびたびです。郵便物は届かなくてもしょうがありません。バスは停留所を飛ばします。電話で何かサービスを頼んでも来ない事が度々です。
つまり、アメリカ並みに相対的な給与水準を下げると言う事はアメリカ並に仕事がいい加減になると言う事でしょう。日本の産業界もそろそろその事を理解するべきではないでしょうか。昔の日本の様にサービスが行き届いている社会が良いのかアメリカの様にクレームをつけまくって裁判に訴えるぞと脅して初めてサービスを受けられる社会が良いのか。
そう言う事を考えているとフランスでストが多いのも、健全な社会サービスを維持する為のコストなんだと納得する訳です。(でも個人的にはもう少しストが少なくなって欲しいです。)